3月11日の東京

IMG_0349IMG_035611日、仕事を終えて帰りの道中ルベインに立ち寄りました。薬師神さんの個展を拝見。宇和島で作品は見ていましたが、会場全体にびっしり配置された宇和島のテクスチャー(素材)が空間をはるか遠くの宇和島にいる錯覚にさせてくれます。会場には写真のキャプションも詳しい説明はあえて一切表示されていません。見る人の判断で自由にイマジネーションを膨らませてくれるとても質の高い展覧会です。

エントランスの中庭には大漁旗が春風に揺らいでいます。宇和島の水産会社から借り受けた現役の船の大漁旗だそうです。単に設えとして飾っているのではなく、これも宇和島の作品の一部と飾られている心憎い展示です。会期は本日で終了しますのでお近くの方は是非。

帰りの便には少し早いのですが、山の手線から品川で乗り換え、京急の羽田行き急行に乗ってほっとした途端、電車が急停車。地震の社内アナウンスがあった瞬間、車両がぐらぐら揺れ出しました。東北地方太平洋沖が震源の地震だったのです。社内は停電状態で小一時間車内に缶詰状態で、その間何度も余震に揺られながらも日本で深刻な被害を受けているとは全く思いませんでした。乗車していた車両が橋の上だったので揺れが強く感じたのだろうと思い込み、車掌の誘導で車外に避難されたときには復旧まで待とうと思っていたのです。

外に出ると、都内の電車が全てストップしている情報があり、アイフォンでも東北が震源の地震程度のことしかわかりません。飛行機も予定通り運航状況を告知しているだけで、電話も通じません。情報収集出来ない状況で「どうする?」自分で判断するしかないのです。

品川駅のすぐそばでしたが、復旧を待つよりも空港へ向かうことを選びました。時計は3時を少し過ぎた頃、GPSの地図を頼りに歩き出しました。肩にくい込むノートパソコンの入った重いショルダーバックのベルトを掛けかえながら飛行機の出発時間ばかりが気になっていましたが、日が暮れたころには宿泊の心配をしていました。バスも動いていないことがわかり、タクシーも捕まらず、唯一の交通機関の車も大渋滞で歩いた方が早いくらいです。空港近くのホテルは満室、後戻りしようにも歩くしかなく、明日もどうなるか何も確約がない為、とにかく空港に行くしかありません。

IMG_0358道中の様子は割愛しますが、第一ターミナルに到着したのが10時過ぎ、空港には着便の移動の出来ない客と、欠航で都内に引き返せない客で何千人の人が施設内に泊まり込んでいました。地下から展望フロアまで全て解放された空港施設は避難所状態です。有り難かったのは毛布と非常食の配給があり、空調、照明もあったので、新聞紙の上に毛布にくるまれて一夜を明かしましたが、比較的快適に過ごすことが出来ました。腰や背中は少々張りがありますが、品川から歩いた疲労で4時過ぎまで熟睡です。

翌朝もまだ欠航の便は多く、変更便のカウンターは長蛇の列で松山に帰ることが出来るのか?また地震が来たら?と不安は募るばかりですが、何とか一便で帰ることが出来ました。飛行機の中の新聞で初めて地震、津波の状況を知り、震災のほんの少しの影響を受けましたが、深刻な被害と規模の大きさに本当に驚きました。被害に遭われた皆様は今もまだ大変な状況下と思います。心からお見舞い申し上げます。

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